日和の雑談日記

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都立町田総合高校の暴力事件から思うこと

東京都立町田総合高校の男性教員が男子生徒に暴行を加え、怪我を負わせた事件が波紋を広げている。

事件内容を知らない人向けに簡単に説明すると、

男子生徒が教師を挑発し暴力を振るうように誘導し、実際に殴られた瞬間を周りで見ていた他の生徒達が動画に収め、ネットにアップロードしたことにより事件が発覚した。動画内では「Twitterで炎上させるぞ」等と言った発言も見られ、計画的に事件を起こそうとしたようにも思える。

ネットやテレビでの報道を受け、世論は男性教員の擁護へと流れているように思える。問題を起こし、批判の的となっている男子生徒達の本名等が特定され炎上騒ぎにもなっている。

この事件に関する一連の報道を見て、僕は本当に悪いのは生徒だけなのだろうかと思う。

 

話は変わるが、僕は田舎の公立高校を卒業した。地域で2番手か3番手くらいの進学実績を持った所謂進学校だった。進学校という響きだけを聞くと、別に悪い場所ではないと普通は判断するだろう。中三の冬に志望校を確定させた時も、この高校なら大学受験をする上で申し分のない教育が受けることが出来るだろうと思い出願を決めた。

しかし現実は想像と違い、ひどい環境であった。

まず、教師の受験関係の対応が酷かった。授業がわかりにくい教師がいたり、授業の進度が遅すぎるのは公立高校だから仕方が無いことだと割り切ることが出来た。しかしそれ以外の対応に関して言えば僕はどうしても我慢が出来なかった。僕が「○○大学に行きたいです」と学年主任との面談で打ち明けた時、

「うちの高校ではその大学に向けた指導が出来ない。他の大学にレベルを落としたらどうだろうか。」 

と返されたのだ。

僕はとても腹が立った。進学校なのだから生徒の希望に合わせ指導するのが教師の役目ではないのか。なぜどうすれば受かるか一緒に考えるのではなく、レベルを落とすことを勧めてくるのか。僕は納得出来ず食い下がったが学年主任の意見が変わることはなかった。

これだけだったら僕だけの問題であるし、そこまで怒ることなのかと思う方もいるかもしれない。しかし問題はそれだけではなかった。

学年主任の教師は生徒に対しセクハラをするような教師だったのだ。セクハラとは言っても、女子生徒の頭を撫でたり、腰に触れたりする程度で本人はセクハラではなくスキンシップの一種だと考えていて問題意識はなかったと思う。男子生徒にも同じような接し方をしていたので無意識のうちの行動だろう。実際に、年に数回ある生活アンケートで学年主任のセクハラに関することを書く生徒は少なくなかった。しかし、学校側が特別対応することは無くセクハラは続いた。僕自身そのような状況に耐えかね、生徒指導部の先生にセクハラに関して相談したことがある。それでも結局何も状況は変わらなかった。3年間学年主任はかわらず、卒業まで過剰とも言えるスキンシップは続き、気の晴れぬまま卒業を迎えた。

 

話が長くなってしまったが、僕が自身の経験を踏まえ何が言いたいかというと、学校に於いて教師と生徒の間には超えられない壁があるという事だ。言い方は悪いが生徒は所詮生徒であって教師に従うしかないのだ。多少教師に問題があったとしても学校は平気で事実をもみ消す。いくら生徒が声をあげようが、結局判断をくだすのは大人達なのである。今回の報道を受け、連日ワイドショー等でも色んな方が事件について言及しているが、どれもこれも危害を加えた教師を擁護するものばかりで生徒の事情などお構い無しだ。学校に限らずテレビでさえも大人の偏った考えばかりが先行されているのだ。生徒目線に立った大人がいればまだマシなのだがあいにくそんな大人はほとんどいない。

 

今回町田総合高校で起きた事件だって本当は深い理由があるのではないか。あの動画だけを見ると、学校にピアスをしてきた男子生徒がもちろん悪い。そして教師をハメて炎上を誘うような一連の行動は許されるべきではない。しかし、あのような事件を起こしてでも教師を辞めさせたい、そんな理由があったのではないかと僕は思う。普段から教師側にも問題があったのではないか。本当に悪いのは生徒だけなのか。単純な教師の生徒に対する暴力事件で済ませるのでは無く、もっと深く考えていくべきなのではないかと思う。

そしてこの事件をきっかけに教育現場が少しでも良い方向へと向かうことを僕は祈っている。